
大学入学資格試験。日本では各大学に固有の入学試験があるけど、フランスでは全国共通の試験、バカロレアがあって、合格点に達すればどこかの大学に入れる。と、簡単にいうとこうなんだけど、実はこれほど簡単ではない、ということが最近、判明してきた。自分の息子があと1ヶ月で、この試験を受けるからだ。
まずバカロレアには一般・テクノロジー・プロフェッショネルの3種類ある。技術屋やアーティスト、家具作り、服やアクセサリーデザイン・・・などに進む人以外は一般バカロレアを受ける。受験生の約53%がこの「一般」を受ける。
「一般」には、サイエンス・文学・社会経済の3種類があり、それぞれ試験科目と採点係数(Coefficient)が違う。
サイエンスバカロレア(“バック S”と省略される)は日本の理数系で、数学、物理・化学、自然科学などがメイン。そこに全部のバックに共通のフランス語(つまり国語)、歴史、哲学、外国語(2つ)が加わる。バックSでは理数系の科目の採点係数が高く、6掛けから8掛け。つまり理数系で平均以上いけば、歴史や外国語でドジっても受かるようになっている。
つぎがバックLと呼ばれる文学バカロレア。哲学の係数が7掛けと高く、フランス語、外国語も他のバックより重要視される。オプションでラテン語、第3外国語、数学などを選ぶ。息子は日本語のオプションをとっている。
バックESと呼ばれる社会経済バックは、経済学、社会学、そしてなぜか数学が重要視される。でもバックESは採点係数がどんぐりの背比べで、おしなべて平均以上取らなくてはいけない。
以上3つのバカロレアの受験者の比率は、息子の高校でSが70%、ESが20%、Lが10%とサイエンスバックが圧倒的に多い。これはSが「つぶしがきく」からだそうで全国的な傾向。女の子でもSを選ぶ人が多いのは驚きだ。
(続きは明日)

2008年は日仏友好150周年、ジュエリーブランド、ブシュロンの創立150周年でもある。後者は、記念のイベントとして英・仏・日本語のブログ・コンテストを企画していて、その説明会がヴァンドーム広場の本店であった。集まったのはイベント企画会社やブログ・エージェンシー、そしてブロガーの人たち。私は日本部門の審査員になったので招待状をもらった。
最初にメゾンの担当者から「今夜のメニュー」が説明される:8人ずつ3つのグループに分かれ、『貴石の鑑定法について』『オート・ジョアイユリー』『ジュエリーのデッサン』について勉強していただきます。順番にこの3つのアトリエに参加してください。全部終わったら、シャンパンが用意されています。
3科目、お勉強しないとシャンパンにはありつけないというわけ。
まず、貴石の鑑定法は、ブシュロンで20年以上、貴石の買い付けをやっているムッシューが解説してくれる。まず「貴石と呼ばれる石はいくつありますか?」という質問。「60?」「そんなにない、20?」・・・正解はダイアモンド、エメラルド、サファイア、ルビーの4つだけ!彼は大きさやカットの違う4つの貴石を見せて、その優劣を説明してくれる。実は、どれも同じに見えるんだけど・・・「一年に何kg貴石を買いますか?」という質問に「1kgにも達さないことが多いけど、初めて5kg近くあるエメラルドの塊を買った」。指輪が何百個できる?
次はオート・ジョアイユリー。1点もののオーダーメイドジュエリーが何点も登場して、触ったり、試したり、値段を聞いたりできる快適なアトリエ。男性まで、シャツの襟をはだけてダイアモンドのネックレスを試していた。

「このまま帰ろうかしら・・・」
最後はデッサンのアトリエ。4ツ切りくらいの画用紙にブシュロン得意の動物リングのデッサンが並んでいる:ハリネズミ、フクロウ、カメレオン、カエル、カメ、こうもり・・・この中の2つを組み合わせて想像上の動物のリングをデザインせよ。時間は20分。
ブティックの上にある図書室と呼ばれる部屋はシーンと静まり、鉛筆を動かす音だけ。試験会場みたいだ。私はハリネズミとフクロウを合体させた。子供の絵みたい!出来上がったデッサンを持って帰ろうとしたら没収された。恥は残したくなかったのに。

みんながアトリエを終了したのが10時近く。たくさん学んだあとのシャンパンはまた格別!
しかし、ブログ・コンテストがどのように行われるか、まだよく理解していない私。

ブルターニュの海に浮かぶベル・イル(Belle Ile=美しい島) という島。キブロンから一日何便も船が出ている。船に乗ったときは靄の中にぼんやりと輪郭が見える島が、30分もするとはっきり見えてくる。赤と緑の灯台に囲まれた湾(写真)に船が入ると、近所の子供たちや迎えにきた人が手を振る。
14km、45分の行程なのに、長い船旅で目的地に着いたような情緒がある。
しかし実際、長い旅ではあった。電車に乗り遅れる!とタクシーを飛ばし、プラットフォームを走って、息を切らして乗ったTGVが、予定通りの正午に出発しない。15分経ち、30分が経ち、車内がざわざわしてきたところでやっと「午前中事故があったため、私たちの運転手がまだ到着していません・・・」というアナウンス。事故と運転手の遅刻に何の関係があるのだろう?いっそのこと降りて出直そうかと思ったが、せっかくサンドイッチのおべんとうも持ってきたので、待つことにする。
結局1時間遅れで出発。この遅れのおかげで、綿密に組み合わされた電車や船への乗り継ぎがおじゃんになり、Nante(ナント)で1時間待つ。のどかな田園風景のローカル線に乗ってAurayへ。Auray(オーレ)から定期バスに乗って船の発着するQuiberon(キブロン)まで。
定期バスは地元の大学生や老夫婦を乗せたり降ろしたりしながらノンビリと進むので、20時10分の船に乗れるかハラハラしたが、5分前に港に到着。年に数回この船に乗るというムッシューが「私についてきなさい」と一緒に走ってくれて切符を買い、危機一髪で乗れたのである。ほっ。
ベル・イルの港に迎えにきてくれる友達夫婦に「乗った!」とSMSを送ると「正しい船に乗ったのか?」という返事。私の方向音痴は有名らしい。
ちゃんと探せばAurayまで直行の電車があるし、7月8月はキブロンまでも電車があるので、ずっと簡単に行ける。と言ってもパリから6時間。しかしその甲斐がある絵のように美しい島だ。
完全に修復された要塞が港の上に聳え、立ち並ぶ家は可愛く、壁、扉や窓枠がピンクやブルーのペンキで塗られている。なんでも家の高さ、横幅が厳しい規制で決められているそう。きれいな色は船の船体を塗った残りのペンキを使うから。

私たちはこの島で2日間過ごした。
ベル・イルにほれ込んだ有名人はサラ・ベルナール。周りに何もない断崖の上に大きな家を建て、船で乗り付けていたという。『天上桟敷の人々』『北ホテル』の主演女優アルレッティも晩年をこの島で過ごした。
島の人口は4800人、夏にはその10倍になるが、コルシカのようにスノッブ化していないところがいい。
ここにセカンドハウスを持ち始めたのは教職関係(最も休暇が多い人種。20年前は島の地価が安かった)。つぎに精神分析家がやってきて地価を上げたのが1990年代。最近、広告・マーケティング業界の人たちがやってきて、地価をまた上げた。しかし彼等にとって島は派手さに欠けていた。「人に見られる場所がない」といって2〜3年で売り払ってしまうそうだ。友達夫婦は20年前に、ゴミ捨て場所だった広大な土地を買って素敵な家を建て、休暇の度に来ている。

春になると(そう、フランスはやっと春!)必ず一度は買ってしまうのが雛菊。丸く小さい花が、丸く小さいブーケになって、短い間花屋さんの店先に登場する。衣食住が優先して、滅多に花を買わないけど、買ったときは「花のある生活は素敵!」と喜ぶ。
雛菊のブーケを買った夜、ゴミを捨てに行ったら、赤い薔薇の花束が捨ててあった。ちょっと元気がないけど、まだまだきれい。なぜ捨てたんだろう?・・・と花束を持って家に入ると「わー誰にもらったの?」と娘。
そんなんじゃないって、と水切りをして薔薇を花瓶にさした。深紅で美しい。

「好きでもない男性から贈られたので捨てたのかな」と私。
「好きな人からもらったけど、その後喧嘩別れになって、悔しくて捨てたんだ」と娘。
2人で薔薇をめぐる物語を作る。
素敵なシーンに出くわしたことがあった。花屋の前で近所の知人にばったり会い、立ち話をしていたら彼の奥さんが通りかかった。「何をしているの?」と奥さんが尋ねると「君に薔薇を贈ろうかと思って・・・」
翌朝、水を吸った薔薇はピンと元気を取り戻していた。突然、ブーケが2つも。花があると文字通り、生活に彩が加わる。豊かな気分。
それだけに、日本で起こっているチューリップ荒らしはショックだ。

「通訳をやっている友人が、私に会いたいといっている日本人がいる、というので承諾した。その男をひと目見たとき、私は彼が何者なのかわかった。彼も、私がわかったのがわかった。彼は率直に自分の正体(ヤクザの組長)を明らかにした。彼は滞在の最後の日に、組の内部を映画に撮らないか、と提案してきた」
ジャン・ピエール・リムーザンのドキュメンタリー映画『Young Yokuza』がARTEで放映され、映画館でも封切りになった。「よく撮らせた」「ヤラセじゃないのか?」というのが日本人の率直な感想だけど、きっかけは上の通り。
組長の提案に、リムーザンは、ヤクザを撮ろうとしたドキュメンタリー作家2人の1人は殺され、もう1人は斬りつけられたことを思い出し、背筋が寒くなった。
結局、非合法なことをしている場面は一切撮らない、その代わり、リムーザンの撮ったものを検閲しない、という了解で撮影は開始された。

“仕事にもつかずブラブラしていて悪いことしかしない”息子を持て余した母親が、熊谷組に息子・ナオキ(20歳)を託することからドキュメンタリーは始まる。挨拶、お茶の入れ方、掃除、買出しなどヤクザの日常を覚えていくナオキの姿が描かれる。親分亡き後を継いだ若い組長(写真)は、目つきは独特の冷酷さがあるものの、指を詰めたりしないし物分りがよく、私の抱くヤクザ組長像とすごく違う。
リムーザンによるとこの組長は、この映画が公開されることで低迷しているヤクザ界の活性化を図ろうとしたらしい。つまり「こんなとこなら俺も入ってみるか」と志願者が増えるようなヤクザ興し映画。そんなプロモーションを思いつく組長だけに、正当派ヤクザとは違う異端児なのでは?なかなか絵になっているので、実は俳優になりたかったとか?
何度か日本のラッパーの歌が入るが、日本語とラップ音楽がちゃんと一体になっていて予想外に良かった。