長谷川たかこのパリのふつうの生活
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パリのふつうの日常
40歳、恋の行方
DATE : 2008-07-17-Thu Comment 0
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ブシュロンの『貴重な一瞬』コンクール受賞作で、私が一番好きだったのは『希望/Hope』と題された次の作品。訳してみました。どうでしょう?

『私は40歳。気持ちは20歳だけど、残念ながらそうではない。
夫なし。子供なし。自分の選択を悪くないと思える日が多い。でも、つらい日もある。
先週、スーパーマーケットで、小さな男の子が駆けてきた。頭を下げて走ってくると、「ママン」と叫び、いきなり私の膝に抱きついた。長い間そのままの姿勢でいて、ふと顔を上げ、私が「ママン」でないことに気がつき、わっと泣き出した。私も泣きたくなった。
年月が経つのにまかせていた。私はもう誰かの「ママン」になることはないだろう。

ラッシュのメトロの中で、私は女性の手を見ている。本のページをめくる、携帯を持つ、髪をいじる手。私は指輪を見る。結婚指輪。ひとつずつ違うけど、繊細なカーヴに睦まじさが宿る。
何もない自分の手を見つめる。そして何故?と思うのだ。

先週、バスティーユ広場で男性を待っていた。一緒にカフェに行くのだと思っていた。道の向かい側に飛び跳ねるように現れた彼は、ひらひらと何かを振ってみせる。それはオペラ座のチケット、びっくりした。私に?本当?本当なの?

劇場の中で、私は、波が数多くの失望を洗い流すように、荘厳な場所に洗われるように感じている。暗がりの中で彼が私の手に触れる。指が絡み合い、彼は強く握る。私は思わず手を見つめた。壁の割れ目から漏れたのか、細い光が横切っている。その指に。
金色にそれは輝く。指輪のように。』

バスティーユで待ち合わせしているからパリ在住のアメリカ人かイギリス人?暗がりで手を握り合ったあとどうなったか気になるところ。
上の写真のリングを渡すときに、その後の経過を聞いてみよう!ということになった。
ピンク、イエロー、ホワイト、チョコレートの4つのゴールドを重ねたこのリングは男性にも似合う。私の隣に座っていた社長さんの右手薬指にも渋く光っていた。


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初体験の審査員
DATE : 2008-07-17-Thu Comment 0
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6月は、マーケティングリサーチ会社やリロケーション(フランスに赴任する外国人のサポート)会社などと仕事をする機会があり、なかなか面白い体験だったけどかなり忙しかった。
トンネルのような6月を抜け出ると、明るい夏の陽光が降り注ぐ7月、遊ぼう!と思っていたら、ブシュロン150周年記念コンクール『貴重な一瞬』の審査員という、また初体験の仕事が待っていた。
『INSTANTS PRECIEUX/貴重な一瞬』というテーマで、詩、エッセイ、手紙、会話・・・と形式自由なテキストをご覧のブシュロンのサイトに応募、その中から最優秀のテキストを選び、筆者にはリング4orが贈られるという企画。応募してリングを狙うほうが魅力的ではあったけど・・・

審査員はフランス人2人、イギリス人2人、日本人1人に社長のジャン=クリストフ・ベドス氏らはじめブシュロンから3人の7人。
6月30日締め切りになってフタを開けてみると450点という予想外の応募数に私たちは青くなる。
当初はサイト上で、20点満点で採点する方法が準備されていたけど、そんなことしていたら優勝者の発表が秋になってしまうので、Wordsテキストで送られてきた。こうすればメトロでもベッドでも読めるというわけ。プリントすると厚み3センチのボリュームで、私はそれを、食事しながら、お風呂で、メトロの中で、寝る前に・・・とひたすら読んだのであった。

恋の『貴重な一瞬』が圧倒的に多く、フランス人ってやっぱり恋多き人たちなのね、と再認識。「炎の一撃のような出会い」「つきまとう君の面影」「あなたの熱い視線が・・・」、そしてジュテーム、ジュテームの連続に酔ったような気分になる。最初の出産について書かれたのも多かった。

11日の朝、審査委員会。それぞれが10点選び、一番多くの人から選ばれた作品が入賞となる。450点の中から選ぶのだから意見が分かれると思ったら、意外と同じテキストが選ばれていた。フランス語2点、英語2点が最後に鼻の差で残り、再投票。さらにフランス語と英語とでは優劣がつけられないということで、両方の最優秀作品それぞれにリングが贈られる事になり、めでたしめでたし。
入賞作は明日ご紹介します。
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イヴ・サンローラン回顧録
DATE : 2008-06-11-Wed Comment 0
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サファリジャケット、パンツスーツ、タキシード、シースルー・・・女性のワードローブを圧倒的に豊かにしたサンローラン。最後のデフィレのDVDが出るのを待ちつつ、偉大なクチュリエの回顧録。

クリスチャン・ディオールのアシスタントとしてデビューしたサンローラン。ディオールが他界すると、21歳でその後を継ぎ、4年後、1962年にはピエール・ベルジェと自分のクチュール・メゾンを開く。同じ年に披露した最初のコレクションのデフィレには、ロスチャイルド男爵夫人、フランソワーズ・サガンなど有名人がやってきた。オートクチュールに初めてスポーツウエアを取り入れ、モード史上に残るコレクションになる。順風に乗って、初の香水《Y》を発表。
1965年のデフィレではモンドリアン・コレクション(上の写真)を発表し、サンローランは押しも押されぬ人気デザイナーに。
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1966年、サンローランは女性のスモーキング(タキシード)を発表し、センセーションを起こす。これ以来、スモーキングは違ったデザインで毎回デフィレに登場。サンローランのアイコンのひとつとなる。
66年は、パリの7区にプレタポルテのブティック、サンローラン・リヴ・ゴーシュが開いた年でもある。ブティックのゴッドマザーは、オートクチュールの顧客であるカトリーヌ・ドヌーヴ。

60年代の終わりには、NY、ロンドンにサンローラン・リヴ・ゴーシュのブティックを開き、リヴ・ゴーシュ・オムもスタート。コレクションに透ける素材が登場したのもこの時期。
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広いジャンルのアートを愛するサンローラン、ロシアのバレエ・オペラやピカソ、マチスへのオマージュなど、70年代はアートからインスピレーションを得たコレクションが目立った。
80年代には今では定番になっているサファリジャケット、アフリカンルックを発表。

1982年、メゾン創立20周年記念にサンローランはインターナショナル・ファッション・アワードを受賞。3年後にはグラン・クチュリエのオスカーに輝く。
1990年のデフィレは、「自分に影響を与えたすべてのアーティストへのオマージュ」で拍手が止まない大成功に。

1998年、ファムのプレタポルテにアルベール・エルバズ、コレクション・オムにエディ・スリマンと2人のデザイナーがメゾンに参加。
7月12日、サッカーワールドカップ決勝戦の前に、スタッド・ド・フランスに300人のマヌカンを動員し、デフィレを行う。8万人の観客の前に、サンローランの歴史が絵巻のように繰り広げられる。サンローランにとってこのデフィレが最後の輝きだった。
2000年、メゾンは企業グループPPRに買収され、PPRはトム・フォードをアート・ディレクターに起用。モードのことは知り尽くしていても、高級ブランドグループ間の戦争には関わりたくなかったサンローランの“アデュー”が始まる。2001年、インターコンティネンタル・ホテルでサンローランの最後のデフィレ。2002年にはクチュール・メゾンを閉めることを発表した。写真は最後のデフィレのフィナーレ。カトリーヌ・ドヌーヴ、レティシア・カスタ、2人のミューズに挟まれながら寂しそうなサンローラン。
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2004年、トム・フォードが去ってから、イタリア人デザイナー、ステファノ・ピラティがアート・ディレクターを務める。

黒いプルオーヴァーに黒いスカート、愛する男の腕の中にいれば女性はこれだけで美しい、といったのはサンローラン。中身のエレガンスの大切さを繰り返したのも彼だった。


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Adieu サンローラン
DATE : 2008-06-02-Mon Comment 0
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月曜日の朝は「サンローランが亡くなった」というニュースで明けた。
「マドモアゼル・シャネルは20世紀前半を、サンローランは後半を象徴するクチュリエ。ココ・シャネルは女性を自由にし、イヴ・サンローランは女性に力を与えた」と、サンローランの “生涯のパートナー”だったピエール・ベルジェ。

ラジオFrance Interでは、彼の初めてのインタビューを放送した。19歳のサンローランは、哲学をやっていたけどモードに方向転換したことを、すごく内気そうな声で語っている。
61年、25歳の若さで立ち上げたメゾンは、オートクチュールメゾンとしては初めて株式上場。40年ののち、2002年にメゾンを閉じるときは、モード史上に残る盛大なデフィレでフィナーレを飾った。カトリーヌ・ドヌーヴとレティシア・カスタに挟まれて、最後にステージに現れたサンローラン、足取りやしゃべり方がぎこちなかった。死因は脳の癌。71歳。

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台形ドレス、タキシード、サファリスーツ、透けるモスリンのドレスなど、女性のスタイルとして定着したシルエットの数々は、みんなサンローランのデザインだ。その中でも、女らしさが強調されるマニッシュなタキシードはすごい発明。60年代、パンツスタイルでオフィスに行けなかった女性を解放したのも彼の功績だ。
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150周年のイベント
DATE : 2008-05-07-Wed Comment 0
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2008年は日仏友好150周年、ジュエリーブランド、ブシュロンの創立150周年でもある。後者は、記念のイベントとして英・仏・日本語のブログ・コンテストを企画していて、その説明会がヴァンドーム広場の本店であった。集まったのはイベント企画会社やブログ・エージェンシー、そしてブロガーの人たち。私は日本部門の審査員になったので招待状をもらった。

最初にメゾンの担当者から「今夜のメニュー」が説明される:8人ずつ3つのグループに分かれ、『貴石の鑑定法について』『オート・ジョアイユリー』『ジュエリーのデッサン』について勉強していただきます。順番にこの3つのアトリエに参加してください。全部終わったら、シャンパンが用意されています。
3科目、お勉強しないとシャンパンにはありつけないというわけ。

まず、貴石の鑑定法は、ブシュロンで20年以上、貴石の買い付けをやっているムッシューが解説してくれる。まず「貴石と呼ばれる石はいくつありますか?」という質問。「60?」「そんなにない、20?」・・・正解はダイアモンド、エメラルド、サファイア、ルビーの4つだけ!彼は大きさやカットの違う4つの貴石を見せて、その優劣を説明してくれる。実は、どれも同じに見えるんだけど・・・「一年に何kg貴石を買いますか?」という質問に「1kgにも達さないことが多いけど、初めて5kg近くあるエメラルドの塊を買った」。指輪が何百個できる?

次はオート・ジョアイユリー。1点もののオーダーメイドジュエリーが何点も登場して、触ったり、試したり、値段を聞いたりできる快適なアトリエ。男性まで、シャツの襟をはだけてダイアモンドのネックレスを試していた。

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「このまま帰ろうかしら・・・」

最後はデッサンのアトリエ。4ツ切りくらいの画用紙にブシュロン得意の動物リングのデッサンが並んでいる:ハリネズミ、フクロウ、カメレオン、カエル、カメ、こうもり・・・この中の2つを組み合わせて想像上の動物のリングをデザインせよ。時間は20分。
ブティックの上にある図書室と呼ばれる部屋はシーンと静まり、鉛筆を動かす音だけ。試験会場みたいだ。私はハリネズミとフクロウを合体させた。子供の絵みたい!出来上がったデッサンを持って帰ろうとしたら没収された。恥は残したくなかったのに。

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みんながアトリエを終了したのが10時近く。たくさん学んだあとのシャンパンはまた格別!
しかし、ブログ・コンテストがどのように行われるか、まだよく理解していない私。



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