FC2ブログ
Category : パリ雑記

隔離日記:(続)いかに歩かせるか

「シャンゼリゼ通りのイリュミネーションが見たい!」
メトロで凱旋門まで行って、一駅か二駅歩いて、またメトロで帰ってくればいい。
歩かせる口実ではなく、本当に見たかったのだ。
そしたら夫も四の五の言わず「一緒に行く」
コートを着て、マスクもして出かけようというとき、夫が、
「でも1㎞以上ある」と言い出した(今日28日から突然20㎞に延長されたけど、それまでは“自宅から1㎞が限界だった)。
いくらパリが小さいとは言え、バスティーユから凱旋門までは6㎞近い。
「もうすぐ解除になるのに、今コントロールに出くわして罰金を払うのはバカらしい」
たしかに・・・
夫はもっともな反対理由を見つけて、なんだか元気になったようだった。

でもせっかくコートを着ていたので、「河本さんが開いているか見に行こう」と言ったら乗り気になった。
数日前から「河本のお弁当」とうわごとのように言っていたのだ。
ロケット通りの小さなお店には明かりがつき、河本夫妻が忙しげ。テーブルの上には出来上ったお弁当が並んでいる。わたしたちは翌日のお弁当を予約した。

「河本」の定番、茄子の味噌田楽、鮭の照り焼き、インゲンの胡麻和え、白身魚のフライと鶏から揚げ。そしてお寿司!17ユーロ

IMG_20201117_203955.jpg

目的-しかも美味しい目的-があると歩くのね。
でも2m置きに立ち止まってウィンドウを眺めるので-わたしも一緒に立ち止まるので-なかなか進まない。
前にお医者さんから「何かスポーツはしてますか?」と聞かれ、
「ダンス(コンフィヌマン以来クラブが閉まっている)・・・あと毎日1時間くらい歩きます」と答えると、
「歩くのは大変よろしい。でも早足で歩いています?ウィンドウで立ち止まったりしてません?」
どうして知ってるの !?と言いそうになり、「道によります。ハハハ」と答えておいた。

一人の時は音楽を聞きながら歩くので比較的スタスタしている(つもり)。
夫と一緒の歩き方は「歩かないよりマシ」という程度であろうと。


にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ


国際恋愛・結婚ランキング




スポンサーサイト



コロナ時代の子供たちの将来は

1980-2000年に生まれた子供は《ジェネレーションY》、2000年以降生まれは《ジェネレーションZ》と呼ばれる。
このネーミングの発端は、ダグラス・クープランドというカナダ人作家の著作『ジェネレーションX』。
ベビーブームの直後の豊かな社会に生まれ、経済危機を体験した人たちの精神構造を描いた本で大ヒットし(読んでいない)、タイトルはこの世代(1960-1980年生まれ)の代名詞になった。

コロナ禍中に生まれた子供はジェネレーションCovidかと思ったら、《Coronnials/コロニアルズ》という一昔前のロックグループみたいな名前がついているそうだ。

coronavirus_20201127082742a36.jpg
photo:Fobes

未来学者や心理学者によると、パンデミックは「世界大戦と同じくらい強烈な体験」で、この間に生まれた子供がどう成長するかは、2通り考えられる。
-この経験のおかげで、逆境に立ち向かう力と生きることへの渇望が特色
-この経験のせいで、外界への恐怖、自分を取り巻く人間への警戒心が特色
子供の性格にもよるし、どちらが大勢を占めるかは未来が教えてくれる。

一方、必ず来ると言われる現象は:
出生率の低下。伝染病の恐怖で「今、作るべきじゃない」と判断するのは自然で、その上、パンデミックと経済危機はセットになっている。以前の出生率が戻るには数年かかるという予想(これ以上、日本の出生率が減ったら大変!)

世代断絶。戦争や革命と同じく、その前の世代の人たちと断絶し、「2度とコロナ以前には戻れない」という意識がある。

「でも、いい意味で“コロナ前とは違う”かもしれない」という神経精神学者もいる。
「この危機のあと、人間同士の絆にもっと重きをおくようになり、それが日常の言動を変えるだろう」
なるほど。日本では東日本大震災の後から「絆」という言葉が多く使われるようになった。
暗いニュースが多いから、“コロナのお陰”とか“いい意味で変わる”ことを探してみたくなるけど・・・かなりきびしい。


にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ


国際恋愛・結婚ランキング


隔離日記:マスクの弊害

「今年、生まれてくる赤ちゃんは“マスクをしてる顔”しか見ないってこと」
「そう、マスクも顔の一部と思うだろうね」
と友達と話し・・・でもよく考えると問題はもっと深い。
赤ちゃんは周囲の大人の表情を読んで感情を理解するわけだから、マスクの顔だとその“判読”が困難だ。

前に読んだ「なぜ欧米人はマスクが苦手か」という日本の心理学教授の記事を思い出した。
“アメリカ人と日本人が“顔のどのパーツから感情を読み取っているか?”という比較研究があり、日本人は目元で、アメリカ人は口元で読み取る傾向があるのがわかった。
顔の中で感情が最も現れるのは口元で、感情を偽りにくいのが目と言われている(なるほど)。
感情を表に出す(のが好きな)欧米人は、口元を見て相手の感情を読み取る。感情を表さない日本人は目を見て読み取る。“

つまりマスクで口元が隠れていると、欧米人は相手の感情が読み取れず、居心地悪くてマスクに慣れることができない。
目元で読み取る日本人にとっては、マスクよりサングラスのほうが居心地悪いということ。うーん納得。

話を戻し、大人を真似て成長する赤ちゃんたちは、長じて自分の感情も表しにくくなるのでは、という懸念があるという。
そこで透明マスクをしたり、

透明マスク
photo:faire face.fr

子供に話しかけるときはオーバーに目を動かすこと、だそうだけど・・・コロナの影響は計り知れない。
影響といえば、今年は口紅を1本も買っていない、ファンデーションすら買っていない。その代わりアイラインは2本買った。


にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ


国際恋愛・結婚ランキング



隔離日記:いかに歩かせるか

夫は、バス一駅の距離(徒歩7分弱)を歩くのがいやで、10分バスを待つような人だ。
昔からそうだった、と言うけど、いやいや、年々歩かなくなっている。
テレワークで会社の往復もないから、一日に《書斎からキッチンまでの距離x3回》しか歩かない。
これではいけない!と夕方、散歩に連れ出そうとするけど、誘い方が難しい。
「少し歩かなくちゃダメ」とストレートに言うと却下される。

「アルスナル港に船を見に行かない?」は成功。彼は船が好き。
住居になっている船と、ただ停泊している船が半々くらい。船で暮らすのは陸で暮らすより安い、と思われているけど、船(状態の良い中古)は長さ15mで大体5万ユーロから。に加えて、年間停泊料(地方、港によって違う)、住居税、保険・・・そんなに安くないようだ。

IMG_20201107_172435.jpg

遠くにバスティーユ駅の明かりと7月革命の記念塔

IMG_20201107_172931.jpg


「お茶、買いたがってなかった?お茶屋さんが開いてるよ」も上手くいった。彼は買い物が好き、特に飲食品の買い物だと元気になる。
探しているのはラプサン・スーチョンという、彼曰く「前によく飲んでいたポピュラーな中国の燻茶」。「聞いたことない」というと、まるでわたしが常識欠如みたいにびっくりした。しかし常識欠如はわたしだけでなく、モノプリにもパレ・デ・テにも置いていないのだ。
いくらなんでもダマン・フレールにはあるだろうと。だってこの品数!

IMG_20201116_175044.jpg

ところが「ラプサン・スーチョンは3年前からヨーロッパで発売禁止になっております」と店員さん。
えっどーして?
「発ガン性物質が含まれていたことがわかりまして。それに似た燻茶に日本の富士山スーチョン、桜スーチョンがあります」
日本にもスーチョンを名乗るお茶があったの!
「ただしお値段が高くて・・・」
「?」
「100g36ユーロ(約4500円)」と聞いて、夫はスーチョン系を諦め、全然関係ない200g9ユーロのお茶を買って喜んでいた。

開いている店が少ないから、“買い物で釣る”のも限りがある。
普段は「ほら、あそこまで行ったら何か飲もう」というテもあるけど、カフェは全部閉まっている。
毎日、“上手な連れ出し方”を見つけるのはなかなか大変なのだ。


にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ


国際恋愛・結婚ランキング


暇つぶしフランス語

春の隔離の時、フランス語綴りのオンラインレッスンに登録して、アララ、間違って覚えていた綴りがこんなにあったのね、とびっくり。毎日送られてくる問題に回答して送ると、すぐ点数と正解が送り返されてきて、9割はできている、と思っても現実は厳しく、前日よりいい点取りたくてちょっとズルしたり・・・と楽しかった。

そのサイトの番外編で、フランス語の(突拍子もない)イディオム解読というのがあった。
例えば:
Se prendre un râteau
Râteauは熊手。文字通り訳すと「熊手を受ける」、本当の意味は「口説こうとして失敗する、ふられる」。知らなかった。
起源を調べてみたら、庭師が運悪く熊手の上を歩き、立ち上がった柄で殴られる、というギャグがモトという説。ちょっと苦しくない?

Poser un lapin

lapin-v2.jpg

これはよく使われる。暮らし始めた当時は文字通り「ウサギを置いていく」と取って、「で、そのウサギ食べたの?」と聞いて笑われた。意味は「約束をすっぽかす、待ちぼうけを食わせる。」

Etre fauché comme les blés
Etre fauchéは「文無し」という意味で日常使われるけど、comme les blés(麦みたいに)がつくと、一文無し、すっからかん、という意味になるそうだ。
これは起源がわかりやすい:文無しの人と、麦がすっかり刈り取られて何もない畑のメタファーですって。

Courir sur le haricot

haricot-visage-3.jpg


インゲン豆の上を走る→ウンザリさせる、困らせる。
19世紀、Courir(走る)には“うるさがらせる”という意味があり、haricotは足の指の俗語だったそうだ。・・・という全然納得できない起源説。
インゲン豆の表現では「C’est la fin des haricots=万事休す、世界の終わり」がよく使われる。
一世紀前、寄宿舎で食料がないとき、生徒たちにインゲン豆を配っていた(ほんとに?)。
そのインゲン豆さえ底をついた=万事休す、が起源。これは納得。

また“知らなくてもいいこと”を調べて、時間が経ってしまった・・・


にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ


国際恋愛・結婚ランキング

プロフィール

Author:長谷川たかこ

この国に住もう!と決めたのは13歳のとき。それが実現したのは10年以上経ってから、それから30年の月日が流れました(計算しないで!)
現在フレンチ・コード主宰。訳書多数、著書3冊。夫1人、子供2人、猫2匹と暮らす騒がしい毎日。映画と料理とデビッド・ボウイが趣味。


長谷川たかこ

カレンダー
11 | 2020/12 | 01
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
最近の記事
カテゴリー
おすすめ書籍
RSSフィード
フランス語講座
おすすめコスメ
アーカイブ