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ベタンクール邸の美術品の行方

ムンク、フェルナンド・レジェ、ジャン・アルプ、ピカソ(『ギターと静物』)、モンドリアン、オディロン・ルドン、マン・レイ、ロベール・ドローネー、ブラック、ジョルジョ・デ・キリコ、ファン・グリス、ミロ、マティス。
ベタンクールの大邸宅の壁を飾っていた13点の美術品がフランソワ=マリー・バニエのものになる。推定額1億5000万ユーロ。

葬儀は9月26日だった。

リリアン・ベタンクール葬儀

えー!老婦人の「弱点を悪用」した廉で実刑判決をくらった人がなぜ?
それは、ベタンクール夫人が認知症になったのは2006年と診断され、これらの美術品はそれ以前に贈与されたものだから。つまり夫人の明晰な意志でプレゼントされたもの。
ただし夫人は自分の生存中は“用益権”を有するとしていたので、それらのタブローは邸宅を飾り続けていた。
人手に渡っていることを誰も知らなかった。2007年に亡くなったご主人アンドレ・ベタンクールでさえ知らなかったのでは?と言われる。
しかも夫人は贈与税まで払っていた。なかなか周到。
バニエ氏はトラックをベタンクール邸に送り付けるだけ。この“小美術館”が彼のうちに引っ越してくるってこと。

彼が総額9億9300万ユーロをもらいながら、罰金が少ないのは同じ理由。2006年以前のプレゼントは“弱みにつけこんで”もらったものではないので、返さなくていい、という判決になった。悪運の強いヤツ・・・

でもベタンクール夫人とバニエ氏は強い友情で結ばれていて、夫のアンドレ・ベタンクールも黙認していたらしい。
「鬱傾向の妻を笑わせることができるのはフランソワ=マリーだけだ」
ベタンクール夫人は、
「夫は、フランソワ=マリーが私に笑い、喜び、別の世界をもたらしてくれるのを知っています」
批難していたのは娘のフランソワーズ。
「娘の世話になるなんて息が詰まる」と、夫の死後、夫人は漏らしていた。

バニエ氏は機知とユーモアに富み、時に扇状的(植木鉢にオシッコしたり!)で、ガチガチのブルジョア夫人に“別の世界”を見せて楽しませたのだ。
その見返り・・・かもしれないけど、もらい過ぎ。クラクラすると言うか、腹立たしいと言うか・・・


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ル・モンド紙によると、1986年、雑誌Egoïste/エゴイストがヌイイーの邸宅でリリアン・ベタンクールにインタヴューした。
記事のタイトルは『財産が一定の数字を超えると、人はおかしくなる』(同感!数字を読むほうもおかしくなる)。
ベタンクール夫人を撮影したカメラマンはフランソワ=マリー・バニエ。彼女65歳、彼40歳。

バニエ氏は大富豪の邸宅を訪れるようになり、2人の関係が始まった。と言っても“ブリジット&エマニュエル・マクロンの先駆者”だったわけでは全然ない。バニエ氏はゲイで、いわば「芸術擁護者とアーティスト」の関係だった。

1991年からベタンクール夫人は”贈り物”を始め、ブラック、マティス、ピカソ、レジェ、ムンク・・・などのタブロー、生命保険、現金など計9億9300万ユーロをバニエ氏は受け取った。
これが芸術擁護 ?? 彼女の頭ははっきりしていたのか?バニエ氏に強いられたのでは?・・・まあ誰でもそう思うだろうけど、一番危険を感じたのはベタンクール夫人の一人娘だ。

2010年6月、Paris Matchの表紙になった2人(写真は2006年のもの)、タイトルは『特殊な友情』

リリアンヌ・ベタンクール&フランソワ=マリー・バニエ

2009年、ル・モンド紙の質問にフランソワ=マリー・バニエは、
「この贈与は完璧に明晰な女性からもらったものだ。私がゆすったという噂は実にくだらない」と断言。

その翌年、リリアンヌ・ベタンクールはル・モンドの記者の質問に答えた。
-バニエ氏はあなたにお金を強要したんですか?
いいえ、私は自覚をもって、財産の一部を彼にあげました。私は物質的なものに執着しないんです。
-彼はしょっちゅうお金を要求しましたか?
“しょっちゅう”ってどの位のこと?1年に一度?まぁそんなもんでしょう。フランソワ=マリーはとても説得力があって知識が広く、モノに情熱がある人。断るには意志の力が必要です。私はその力がありました。

ということは断る力がなかったら、贈与はもっと巨額になっていたということ?これは知的ゆすりと言えないだろうか。

バニエ氏はその15年間の間、ベタンクール夫人に手紙を送り続け、夫人はそれを大切にアルバムに保存する。彼女から時々出す返事はバニエ氏を創作に駆り立てようとするものだった。
「私の望みはあなたが認められること。でもそれはあなたのためです」

19歳で最初の小説を書き、フランソワ・モーリアックに奨励され、ルイ・アラゴンが「これ以上、度はずれた人物には出会えない」と称したフランソワ=マリー・バニエに、大富豪夫人はすっかり魅了されたのだ。


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世界一富豪の女性は幸せだった?

リリアンヌ・ベタンクール。
財産400憶ドル(約4兆5千億円)。“世界一の富豪(男性を含めると14位)の女性”“ロレアルの相続人”(創立者ウージェーヌ・シュエレールの一人娘)として知られていた彼女が21日、94歳で亡くなった。

リリアンヌ・ベタンクール死去
photo:LCI

いつも明るい色の服を着て、エルメス(多分)のスカーフを巻き、ブルジョアっぽくエレガント。思ったことをはっきり言う人だった。

晩年、彼女の名前はスキャンダルの中心人物として登場する。
夫、アンドレ・ベタンクールは政治家で、政治家がよく食事に来ては、札束入り封筒をお土産に持って帰った。以前は政治献金の取り締まりが緩くて、社会党のミッテラン元大統領まで封筒を持って帰ったそうだ。
アンドレ・ベタンクールが2007年に亡くなった後もこの習慣は続き、リリアンヌ・ベタンクールの物忘れがひどくなったのにつけこむ人は政治家だけではなかった。

その筆頭がフランソワ=マリー・バニエ。

フランソワ=マリー・バニエ
photo:europe1

老婦人に取り入る才能がある自称アーティストは、現金、株券、美術品、島(!)など総額9億9300万ユーロ(約1331億円)をゲット。
リリアンヌの娘フランソワーズは「バニエが母が惚けたことにつけこんだ」と訴えた。
「あたしは惚けてなんかいない、娘は嫉妬している」と母娘の争いに。

見るからにきつそうな娘

リリアンヌ・ベタンクールの娘
photo:AFP

バニエには結局“弱点悪用”の廉で、執行猶予付き禁固4年、罰金37万5000ユーロ(約5026万円)の判決が降りた。

ニコラ・サルコジは、2007年の選挙資金を不正にもらった疑いで、党の財政担当とともに取り調べられたけど、証拠不十分で捜査打ち切りになった(元大統領だものね・・・)

母娘の争いは娘が勝ち、リリアンヌには監督者がつき、お金を自由に使えなくなる。
その後、表向きは仲直りをして誕生日を娘夫婦や孫と祝ったりしていたけど、お金目当てに訪ねてくる人もいなくなり孤独だったのでは。
フランソワ=マリー・バニエは悪徳なヤツだけど、彼が話し相手になり、あちこちに連れて行った頃が一番楽しい時代だったかもしれない。
お金持ちで、お金のことで家族と諍いがなく幸せな人は稀な気がする。

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「おまえ、また太った!」
遅めのバカンスから帰ってきた息子の第一声。
「太っても今まで顔は前のままだったのに、牛の首みたいじゃないか!」

幸い“おまえ”は猫のタマ。ボロクソに言われても涼しい顔。ギョッとしたのは私のほうだ。
タマもリュリュも獣医さんが決めた低カロリーの(でも値段は低じゃない)キャッツフードを食べていて、言われた分量を計っているのは私。毎日見ていると太ったのがわからない。
「ま、去勢された家猫はみんなそうだよな」

そういえば中庭を通っていた住人が、
「あの黒白の猫、人の顔を見るとすぐ逃げ出すわね」(モト野良の習性だから仕方ない)
「もう一匹のほうは逃げないよ」
「お腹大きいからじゃない。もうすぐ産まれそうよ」
何てこと!タマは雄なのに!

「リュリュも太った、気を付けないとタマ化するよ」と息子は言うけど、言うは易し。
ダイエットフードを同じ分量を食べさせても太るのは運動不足だからだ。
急に寒くなったので中庭に出るのもやめて、食っちゃ寝の生活。ワインのコルク栓なんかで遊ばせようとしても5分と持たない。
「つきあってらんない」という顔をされる。

お気に入りの”日向で箱入り猫”をやろうとして、重みで横倒しに。

タマとリュリュ

ご飯を待ちつつうたた寝。

タマとリュリュ

食べたら本格的に寝る。

タマとリュリュ

若いリュリュのほうは、何の用があるのか知らないけどひとりで走り回ったり、ハエを捕まえようとしてジャンプして窓から落ちたり。かと思うと、外を眺めて物思いに耽っている。

タマとリュリュ

これからもっと寒くなって、もっと動かなくなって・・・困ったもんだ。


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メトロ“リラの門”の幽霊駅

この週末は、日頃入れない歴史的建物が一般公開されるヨーロッパ文化遺産の日。
すごく待つという噂で(エリゼ宮は7時半から並んだ人が12時半に入れた)、いつもはパスしていた。けど今年はメトロporte de Lilas/リラの門の“幽霊駅”が初めて公開になる、と聞いて、それは見てみたい。

11番と3b番のポルト・デ・リラ駅の傍らに、1939年から使われていない駅があって、幽霊駅とかシネマ駅と呼ばれている。
『アメリ』(2001)でマチュー・カソヴィッツが証明写真を破片を拾い集め、『レディ・エージェント 第三帝国を滅ぼした女たち』(2008)でソフィー・マルソーがSSに銃をつきつけるのがこの駅。

メトロ ポルト・デ・リラの幽霊駅
photo:culturebox

メトロ ポルト・デ・リラの幽霊駅
photo:visites guidees

メトロはパリのイメージのひとつで、年間約80本の映画、テレビドラマ、ヴィデオクリップの舞台になるそうだ。
舞台として人気の線は、6番(地上に出た時エッフェル塔が見える)、10番(距離が長い)、3b番(乗客が少ない) 。
「でも大勢のエキストラを使い、スタッフも大人数のときは午前1時から5時、最終と始発の間。またはポルト・デ・リラの“シネマ駅”で撮影してもらいます」とRATPの撮影担当者。シネマ駅の利点は、映画の時代背景やストーリーに合わせてカスタマイズできること。一日の使用量は15.000~18.000ユーロ(195万~234万円)と安くはないけど、運転手、電気技師、守衛など約15人のRATP職員もつけてくれる。職員たちは喜ぶとか(そりぁそうだ)。

週末は朝市と近くの映画館にしか行かない私が重い腰を上げ、友人とポルト・デ・リラ駅に向かう。
着いてみると、矢印も貼り紙もなくて、駅の窓口には誰もいない。中学生くらいの子供連れのオジサンもキョロキョロしていたので「もしかして・・・?」と聞いたら「そう、もしかして文化遺産の?」
そこへ清掃係が通りかかったので尋ねると、「よくわかんねぇけどエレベーターがあるから下に降りてみたら?」
下に降りると、目の前に幽霊駅!と期待したが、さっき出た改札の前に出た。そこへ従業員専用のドアが開き、中から人がゾロゾロ出てきた。RATPの制服を着た先頭の女性に、
「幽霊駅のヴィジットで来たんですけど」と言うと、
「あれは予約制で9月の初めに予約しなくちゃ見れないんです」
「そんなことどこにも書いてなかった」
「いえ、あちこちに書いてありましたよ。またやりますから来年ぜひ。オホホ」
来年だって・・・オホホだって・・・せっかく一念発起して来たのに。仕方なくまたメトロに乗って帰った。
慣れないことをするとこういうことになる。


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期待しないで観たら・・・『バルバラ』

他の映画(『Wind River』)を観に行ったら満員で、「じゃ『Barbara』にするか」「そうだね」
封切りになったばかりなのでこっちも結構混んでいた。

若い世代はバルバラを知らないし、マチュー・アマルリックの監督作品はちょっとわかりにくいので、観客の反応はどうだろうか?とラジオで言っていたけど、マチュー・アマルリックは作っても演じても、ある程度の観客数を動員するようだ。この作品は作って演じてるから尚更・・・
私は批評を読んでいなかったので、バルバラの生涯(かその一部)が描かれているんだろう、と思っていたら全然。監督(マチュー・アマルリック)が、女優(ジャンヌ・バリバール)と、バルバラの伝記映画を撮ろうとしている、とこを撮っている。
“女優”が歌を聞き、ヴィデオを観て役作りをするうちに、段々バルバラと重なってくる。撮影のオフの部分なのか、カメラが回っているのか、境目が曖昧になってくる。

『Barbara』マチュー・アマルリック

「これはどっちだ?」と混乱しながら、バルバラの音楽世界にはしっかり引き込まれる。

『Barbara』マチュー・アマルリック

それがアマルリックの意図であったなら(そうに違いない)成功している。
後で批評を読んだら、バルバラを知らない世代にも受けているそうだ。

今まで積極的に聴いたことがなかったバルバラの声は形容詞をつけるのが難しい。なんという声!その声を、まるで楽器のように操る。



そしてジャンヌ・バリバールが滅茶苦茶なりきっている。顔も似てるし。
彼女はアマルリックの前妻で子供が2人。15年前くらいに別れている。

今年のカンヌ映画祭で。モト妻の危ういドレス!
『Barbara』は『Un certain regard/ある視点』部門で”シネマの詩情賞”を取っている。

『Barbara』マチュー・アマルリック

棚からぼた餅・・・観てよかった。

この前、朝市の卵屋で、私の前にマチュー・アマルリックがいた。「今起きました」(既に13時頃)という乱れ髪、しかも染めた髪と地の髪が混じってる。「服のまま寝ちゃった」ようなしわくちゃのシャツとズボン。つまり映画の中と一緒だった。

Barbara
マチュー・アマルリック監督作品
主演:ジャンヌ・バリバール、マチュー・アマルリック、オーロール・クレモン
1時間37分
フランスで公開中

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パンを買い損ねたわけ

マダム・ウードゥローは息子の小学校の担任の先生(こっちでは“先生”ではなく、マダム、ムッシューと呼ばせる)。
当時既に60歳くらい、小柄な女性で子供のようなきらきらした眼をしていた。
厳しくて宿題も多かったにも拘わらず子供たちには絶対の人気があり、“厳しすぎ”と文句を言う親も黙らざるをえなかった(しばしば子供の方が慧眼なのだ)。子供に教えるのが大好きで、定年を2度延長し、ついに小学校を去った後は、家庭教師をしている。

この界隈には教え子の親(例えばアタシ)がけっこういるので、道やスーパーで先生に呼び止められることがよくある。おしゃべりなんで、急いでいるときはパッと物陰に隠れたり、方向転換する親(例えばアタシ)も少なくない。
昨日パン屋の前でばったり会ったときは、久しぶりなんで隠れず(その暇もなく)
「アラ、お元気ですか?」
「それがアナタ、化学療法が終わって一安心よ」
「化学療法 ?!」
「それじゃ最初から話すと・・・」15分の立ち話になると見積もった。パンがなくなっちゃうかもしれないけど聞くに値しそうだ。
先生が乳房に赤い痣を見つけたのが夏前。痛みも痒みもないけど嫌な予感がして、皮膚科に行ったら、
「ブラジャーにかぶれたんでしょう」
まさか、と婦人科に行くが、ここでも「何でもない」と言われ、納得できずマンモグラフィーとエコグラフィーをしたけど異常は見つからない。
「でも疲れがひどいし絶対何かの病気と思ったの。自分の身体は自分が一番よく知ってるでしょ」
身体の声に従った彼女が正しかった。
3件目のクリニックで乳がんとわかり、乳房切除、化学療法。

「あなたに言いたいのは、納得いかなかったら複数のお医者に診てもらわなくちゃダメってこと」
ふむふむ、おっしゃる通り。
「それから年寄りのガンは進行しないっていうけどあれはウソ。私80歳になるのよ」
ピンク色の肌に茶目っ気のある眼が輝いている。彼女は小学校の担任当時から変わらない。
それにしても化学療法の直後でこの元気・・・シンジラレナイ。

彼女はその後、いつものように子供と猫の近況を尋ね、自分の娘と孫のこと、自分の猫(モト野良)が冷蔵庫を開けられること、海老300gを平らげてケロッとしていたことを話し、つまり話したいだけ話すと「じゃーね!」と軽い足取りで去っていった。
果たしてパンは全部売り切れてたけど、役に立つお話でした。

うちのモト野良猫は幸い冷蔵庫を開けない。ハトは捕まえたけど。

猫



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老人が窓から、戦火で荒れ果てた風景を眺めている。ソファに座り込み頭を抱える。
周囲の住民はみんな避難し、残るのはこの家族だけ:老人と息子の嫁、その子供2人、家政婦さん。子供の友達2人、そして階上に住む若夫婦+赤ちゃんが居候している。
ドアには太い木材が渡され、10人が息をひそめて新しい一日を生きようとしている。

映画『Une famille syrienne/あるシリアの家族』

銃声や爆発音の度に窓にかけより、住人のいないアパートを略奪する人たちの足音に怯える。水道は止まり、電話もなかなか通じない。

建物を揺るがす空爆。一番奥まった台所に避難する。
中央が、10人の住人を仕切る”息子の嫁”。息子(つまり彼女の夫)はどこかに出かけてまだ戻ってこない。

映画『Une famille syrienne/あるシリアの家族』

ここでは生きられない。若夫婦の夫は“渡し屋”と話をつけ、夜には国外逃亡するつもりだ。

ここを離れられない、と思うのは老人と息子の嫁。アパートは大きく、裕福な暮らしだったことが窺え、食器棚の上に並ぶ写真が家族の歴史を物語る。平和で幸せだった日々の名残を捨てていくことはできない。
一家を仕切る息子嫁は、家族が食事をしてなんとか一日が過ごせるようにイライラと動き回る。

『Une famille syrienne/あるシリアの家族』は、シリアのどこか-アレッポかダマス?-の、アパートの中の24時間を描いている。

映画『Une famille syrienne/あるシリアの家族』
photos: allociné

ハラハラの1時間半、どんなサスペンス映画より怖い。
メランコリックな優しさの老人、性格はきついけどすべてに気を配る母、不便な生活と戦闘の怖さを我慢する子供たち・・・すべてがリアル。観客はスナイパーの音に息を呑み、外の足音にドキドキする。

最初、アパートの部屋から次々に人が出てくるので、その関係を理解するのにちょっと時間がかかった。
主人公の女性がどう見ても50代半ばなので、小さい男の子の母親とは思えず、老人の奥さんかと思ったら、息子の嫁だった。

ニュースで荒廃したアレッポの様子は伝えられるけど、そこに暮らす住民の日常を描いたものは初めて観た。ショック。
シリアからの難民を批難する人たちはこの映画を観るべきだ。
たとえ危ういゴムボートでも、他の国に逃げようとする人たちの生活が、臨場感をもって伝わってくる。重い映画だけど観てよかった。

Une famille syrienne
Philippe Van Leeuw監督作品
フランス・ベルギー合作
主演:Hiam Abbass, Diamond Bou Abboud, Juliette Navis
1時間26分
フランスで公開中

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パリとマラケシュ、既に話題になっている2つのサン=ローラン美術館のオープン(10月初め)を待たず、ピエール・ベルジェが亡くなった。

ピエール・ベルジェ死去
photo:AFP

モロッコ、マラケシュの美術館。

マラケシュ、サン=ローラン美術館

サンローランの半世紀の伴侶であり、保護者であり、クチュール・メゾン、イヴ・サン=ローランの支柱となった人。メセナ(芸術擁護者)であり、エイズ患者のために戦った実業家・・・

イヴとピエールが出会ったのは、1958年2月、ハーパース・バザー主催のディナーの席。その前の年、ディオールの主任デザイナーに抜擢されたイヴは21歳。18歳でパリに出てきて本屋を経営していた文学青年、ピエールは27歳。2人は忽ち恋に落ちた。
当時ピエール・ベルジェは画家ベルナール・ビュッフェの恋人で、彼のビジネスを仕切っていたが、この日以来、イヴのために同じことをするようになる。
60年、イヴはアルジェリア戦争に徴兵され、すぐに抑うつ症になりヴァル・ド・グラース病院に収容された。同時にディオールを解雇されたことを、お見舞いに行ったピエール・ベルジェが告げると、イヴの返事は、
「じゃ僕たち2人で別のメゾンを作ろう、君が運営するんだ」
1962年、イヴ・サン=ローランYSLが生まれ、2人の「僕は創る人、君は売る人」のデュオは、2002年、イヴが引退するまで40年続く。イヴ・サン=ローランは確かに天才的デザイナーだったけど、ピエール・ベルジェの運営力がなければ、フランスのエレガンスの代名詞にまでならなかったに違いない。

1970年、”幸せなモロッコ時代”。真ん中は当時、”ヒッピー・シック”のアイコンだった女優&モデルのタリタ・ゲティ。

イヴ・サン=ローランの伴侶ピエール・ベルジェ死去
photo: Paris Match

1998年。

イヴ・サン=ローランの伴侶ピエール・ベルジェ死去
photo: orange

ベルジェの野心はYSLだけにとどまらず、74年、『Mode et Création/モードとクリエーション』グループを作り、イヴはもちろん、ディオール、ウンガロ、ソニア・リキエル、ドロテ・ビス、Kenzo・・・を擁護し、86年にモード研修と専門職の鑑定を行う『Institut Français de la Mode/フランス・モード・インスティテュート』を作る。プレス界にも進出し、1990年、新聞Courrier international、95年 に雑誌Têtuを創刊。ル・モンドの大株主でもあった。

失敗もあったというけどピエールが関わればビジネスは概ね成功し、イヴと巨万の富を成し、世界中の美術品を買い集める。
2009年、イヴが亡くなった翌年、思い切りよく美術品の殆どを競売に出し、グラン・パレで《世紀のオークション》が開かれた。
売り上げは3億7500万ユーロ(約487億5千万円。ゼロの数が違う世界で暮らしていた!)。

映画『イヴ・サン=ローラン』では、鬱とアルコール、ドラッグに閉じこもりがちな天才デザイナーを立ち上がらせ、励ますピエールをギヨーム・ガリエンヌが演じている。

数年前からミオパチー(筋ジストロフィーなど筋肉の難病)に苦しんでいたけど、精神力で最後まで仕事をし、サン=ローラン美術館のオープンを待ちかねていた・・・
あの世でイヴと一緒にオープニングを見守るんでしょうね。


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試着は危険!

オペラ座の左手にお店を開いた高級カシミアニットのブランド、ラナ・ディ・カプラ。ロロ・ピアーナから仕入れたカシミア糸、ヒルカス山羊の下毛を使っている、と言われてもすぐにはピンとこない。
ロロ・ピアーナは日本にもブティックがある、知る人ぞ知るイタリアの最高級ウール・カシミアニットブランド。エルメス、シャネルと同じカシミア糸と言われるとさらにわかりやすい。1頭からわずか100gしかとれない希少な毛で、その結果ロロ・ピアーナのタートルセーターは1400ユーロ!
ラナ・ディ・カプラのカシミアセーターは約半分の値段(それでも高い)。デザインがクラシック(Vネック、丸首、カーディガン)じゃなくて、一度見てみたいと思っていた。先日オペラにいたら突然土砂降りになり、私は迷わずラナ・ディ・カプラに飛び込んだ。

色が綺麗。

カシミアニット ラナ・ディ・カプラ

カラーバリエーションがこんなにあって「このモデルをこの色で」とオーダーできる。オーダーは3-4週間、外国にも送ってくれる。

カシミアニット ラナ・ディ・カプラ

このモデルが人気はちょっと意外。「イタリア人が好き」と聞いてなるほど。

カシミアニット ラナ・ディ・カプラ

フランスでcamionneurと呼ばれているプルオーバー。トラック(camion)の運転手が着ていたからこの名前になったけど、女性が着ても素敵。

カシミアニット ラナ・ディ・カプラ

これもメンズ。ツインセットにできる。

カシミアニット、ラナ・ディ・カプラ


デザイナーのシャルレーヌ、しょっちゅうお店に出ているそうだ。

カシミアニット ラナ・ディ・カプラ

“ちょっと見るだけのつもり”だったけど、来たからには試着してみよう。特に惹かれたこのブルーを・・・

カシミアニット ラナ・ディ・カプラ

それが間違いのモトだった。肌触りが違うし、サイズが細かくある(XS~XXL)ので身体にピッタリ。肩のスリット(?)も素敵。丈が長いのでスカートの中に入れても出てこないし、パンツにも合う。
脱ぎたくなくなった。
「高い(700ユーロ)けど一生ものよ!ロロ・ピアーナと比べたら半額じゃない」「9月は新年度で物入りだから・・・」の2つの声に引き裂かれる。
クリスマスに誰かに贈らせよう、という結論に達し、やっと脱いだ。
これだから試着は危険だ。でもやめられない・・・

公式サイトはこちら。でも値段は表示されていない。プルオーバー700ユーロ~、ワンピース1000ユーロ前後、メンズは800ユーロ~



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『日本人なぜ休み下手?』

という記事が毎日新聞(デジタル)に載っていた。
“プレミアムフライデーを利用する人が少なく「見直すべきだ」と言われている。政府は来年度から子供の夏休みを別の時期に移し「キッズウィーク」(なぜ全部英語なんだろう?)という大型連休を始めようとしているけど、既に「子供に合わせて休みは取れない」など批判が噴出・・・”
その原因のひとつとして「若いころから休まずに働くことが普通だった人が今管理職についている。上司が休まないから部下も休めない」と分析している。
つまりいくら政府がいくらお膳立てをしても、「3時になりました。帰ります」と言いづらい職場の空気、上司&同僚の目があるということ。
「フランスや北欧の人から見れば滑稽だろう」
滑稽とは思わないでも、理解に苦しむだろうね。
ヴァカンスがあるからこそ、フランス人は毎日仕事をし、
定年&年給があるからこそ、あと1年、もう1年と仕事を続ける、と言っても言い過ぎではない。

8月最後の週末、パリに戻る車の渋滞

ヴァカンス帰り 渋滞

記事中、東工大教授の上田紀行さんの意見に同感した。
「日本人の場合、休むことの意味そのものが確立していない。(・・・・)休暇自体が人生の楽しみだという発想が乏しい」

退職した友人夫婦はあちこち飛び回っていて、仕事をしていた頃より会えなくなった。久しぶりに会ったら前より生き生きしていた。
先日会った友人は、「あと何年で定年」と「もういくつ寝ると・・・」みたいに言っていた。
彼らは、若いころから趣味、余暇に“投資”しているから、仕事をやめても退屈していない。
遊んだり休むことの“豊かさ”を、私も住むようになって経験した。

一方、日本では「休む=怠ける=よくない」という公式が刷り込まれていて、このメンタリティを変えるのは恐ろしく時間がかかる。待っていられない。
上田氏の言われるように「有給消化しない会社に罰則」、だけでなく、消化しない社員は減給、みたいに形から入っていくしかないだろうか。誰かが大型休暇を取るのを待っていたら、いつまで経ってもこのままだ。
あと、高校から哲学をカリキュラムに入れる?
フランスの教育で一番羨ましいと思うのが哲学の必修だ。
「人間の幸せとは?」「なぜ生きているか?」とか考えさせられると「仕事だけが人生じゃない」「自分の人生、他人の目なんか気にしてられるか」と思えてこないだろうか。
ま、フランス人が好き勝手なことをして、同僚全員が残っていても心置きなく帰り、4週間休んでもひとかけらの罪悪感も持たないのは哲学のせいだけとは思えないけどね。
(毎日新聞のこの記事は会員登録しないとアクセスできません。無料登録すれば月10ページまで読めます)


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マクロン支持率落下、5つの理由

43%。就任当時は62%だったから、確かに落ちた。
最初は期待が大きく、3か月も経つと現実とのギャップに国民が失望するのは過去の大統領でも似たり寄ったり。でも同じ時期、二コラ・サルコジは55%、フランソワ・オランドでさえ46%を確保していたから、やっぱり深刻に落下したことになる。

マクロン大統領、支持率落下

人気失墜は法外なメイク代のせいではなく、理由は政策にあり:

嬉しくない措置、しかも説明不十分

まず2017年最後の四半期からAPL(住居手当)を5ユーロ削減(学生たちとその親が怒る)、続いて軍事費と地方自治体の予算も削減すると発表。
一番最近では2018年1月1日からCSG(社会保障への源泉徴収)の値上げ。この代償として負担額を減らすというけど、それは2回に分けてで、2018年末に完全に施行される。つまり何か月かは代償ナシの値上げ。

労働法の改正
8月31日発表になった改正案。その内容が事前に殆ど知らされず、不安や批判が高まった。
フィリップ総理が発表した内容は、中でも労働裁判での賠償金の上限が定められたことが中手企業の経営者にウケた。不当な解雇などを理由に社員が労働裁判所に訴え、払えない額の賠償金を請求され倒産する会社もあったから。上限は月給20か月分。
それでも一部の労組は9月12日に、メランション率いるLa France Insoumise/屈しないフランス党は、23日に改正反対のデモを予定している。つまり改正案を知らないうちから、既に“反対”は決まっていたということ。ま、それが野党のお仕事だけど。

議員の過半数は未経験者
6月の総選挙で当選したLa République en marche/共和国前進党の議員の過半数は、民間企業出身で政治経験ゼロ。最初はそれが新鮮に見えたけど、実際に議会が始まってみると彼らのシロウトぶりが歴然(案件を間違って却下してしまう、手一杯で議会進行についていけない・・・)
メディア露出が少なすぎる(プロの政治家のように“出たがり”じゃない)のは、大統領も非難した。

国民から遠い大統領

就任以来、声明をできるだけ発表しない、メディアに出ない、という方針をとってきたマクロン。随行する記者をエリゼ宮が選ぶ、と言い出した時はさすがに論争になった(ジュピター式は今の社会に通用しないのよ)。大統領がどこで何をしているか見えず、国民と距離ができる。
マルセイユでのバカンス中、ヴィラ内に侵入したパパラッチを訴えたときは記者たちから非難が相次いだ。
そこで方針の修正:エリゼ宮は8月末に「今後、大統領はもっと頻繁に発言します」と発表し、東ヨーロッパ訪問の際は、記者を専用飛行機に乗せた。

ド・ヴィリエ事件、失墜の始まり
ピエール・ド・ヴィリエ大将(かっての幕僚長)が軍事費削減に反対したとき、大統領は怒り、公の場でド・ヴィリエ大将の“遠慮を欠いた発言”を非難。その権威的な態度にみんなびっくり(7月13日)。結果、ド・ヴィリエ大将は辞任することに。この後で支持率が10ポイント落ちた。

何しろまだ3か月。マクロン本人も“長い目で見た変革を”と言っているし、もう少し観察してあげたほうがいいとも思うし。マクロンに投票した人たちの一部が、決して政策のためではなく、“マリーヌ・ルペンを大統領にさせないため”だったのを思い出すと心配にもなる。


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プロフィール

Author:長谷川たかこ

この国に住もう!と決めたのは13歳のとき。それが実現したのは10年以上経ってから、それから30年の月日が流れました(計算しないで!)
現在フレンチ・コード主宰。訳書多数、著書3冊。夫1人、子供2人、猫2匹と暮らす騒がしい毎日。映画と料理とデビッド・ボウイが趣味。


長谷川たかこ

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