長谷川たかこのパリのふつうの生活
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DATE : 2007-05-29-Tue  Trackback 0  Comment 0
河瀬直美 カンヌ

27日に幕を閉じたカンヌ映画祭、その60年をエピソードで追ったミニ歴史、ニュースレターでもご紹介したけど、なかなか面白い(?)ので、掲載します。
写真:右から、河瀬直美監督、主演のうだしげき、尾野真千子

カンヌ映画祭60年史

1946:カンヌ映画祭誕生

1947:カジノがあった場所にパレ・デ・フェスティバルが落成。しかし、フェスティバルの最終日に強風が吹き、真新しい建物の屋根は、風と共に去った。

1953:“タキシード着用”のドレスコードを免除されたパブロ・ピカソ、羊革のコートで登場。グランプリは『恐怖の報酬』

1960:フェリーニの『ドルチェ・ヴィータ』がパルム・ドールに輝く。

1963:『鳥』がコンペティション参加。ヒッチコック監督は100羽の鳩をクロワゼット大通りに放つ。その1羽がヒッチコックに襲いかかった。

1966:28歳のクロード・ルルーシュの『男と女』がグランプリ。最年少受賞。

1968:5月革命がカンヌにも影響。ルイ・マルとロマン・ポランスキーが審査員を辞退、フェスティバルは中止。

1973:マルコ・フェリリの『最後の晩餐』がスキャンダルになる。食べる、という快楽を拷問にしてしまう男たちの物語。ホラー映画より怖い。ご飯を食べながらビデオを観よう、というノリでは絶対見てはいけません。

1979:フランシス・フォード・コッポラの『地獄の黙示録』にパルム・ドール。

1983:新パレ・デ・フェスティバル落成。その新パレのレッドカーペットに現れたイザベル・アジャーニは唖然、折り重なるカメラマンもフラッシュの雨もない!彼女の気まぐれで傲慢な態度にキレたカメラマンたちがボイコットしたせい。後にも先にも初めての出来事。個人的には好きな女優だけど、「大スターなら何でも許される」という態度を許さなかったカメラマンたちはエライ。

1988:『ル・グラン・ブルー』(ビッグ・ブルー)が酷評されて、ベッソンはブルーに。

1990:ゴダールの『ヌーヴェル・ヴァーグ』出演で、アラン・ドロンが15年ぶりカンヌ登場。

1993:ジェーン・カンピオンが『ピアノ・レッスン』でパルム・ドール。初めて女性監督が受賞。

1994:クェンティン・タランティーノの『パルプ・フィクション』にパルム・ドール。ユーモアとバイオレンスと色気ある男たちと撮り方のセンス・・・最高のタランティーノ。

1997:ジョニー・デップの監督作品『The Brave』にヤジの口笛の嵐。がっくりしたジョニーはそれ以来映画を作っていない。

北野武「菊次郎の夏」(1999)、大島渚「ご法度」、青山真治「EUREKA」(ともに2000)、吉田喜重「鏡の女たち」(2002)、黒沢清「明るい未来」(2003)・・・続々カンヌ登場、日本映画の明るい未来!

2004:政治色の濃いマイケル・ムーアの『華氏911』がパルム・ドール、という審査に議論炸裂。

2006:ケン・ローチ『麦の穂をゆらす風』にパルム・ドール。

2007:河瀬直美氏の『殯の森』(もがりの森)がグランプリ、パルム・ドールはルーマニアのクリスティアン・ムンジウ監督の「4ヶ月、3週間と2日」が選ばれる。松本人志『大日本人』の噂は聞かなかった・・・

グランプリとパルム・ドールは「どう違う?どっちがエライ?」の当然な疑問には、WIKIPEDIAがお答えします。
『当初は、最高賞を「グランプリ」(Grand Prix du Festival International du Film 、世界の映画のグランプリ)としていたが、1955年にトロフィーの形にちなんだ「パルム・ドール」(黄金のシュロ)を正式名称とし、「グランプリ」とも呼ばれる形とした。1965年に最高賞の正式名称を「グランプリ」に戻すが、1975年に再度「パルム・ドール」としている。長らくはカンヌにおいても「グランプリ」とは最高賞の正式名称もしくは「パルム・ドール」の別名であったが、1990年に審査員特別賞(前年までの名称は'Grand Prix Spécial du Jury'、直訳で審査員特別賞となる)にあたる賞に「グランプリ」の名が与えられる事となり、混乱を招いている。』
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