表現の自由、その限界

フランスにもシャルリー・エブドが「好きじゃない」人はたくさんいる。私もそのひとり。
政治家や有名人、災害や事故まで挑発的にカリカチュアする“ユーモア”が好きなのは一握りのはず。
発行部数6万部(その半分が定期購読)で、ずっと赤字続きだったことでもよくわかる。

300万人以上が集まったのは、シャルリーの風刺画や編集ラインを護ろうとしたからではない。
賛同できない意見、考え方、表現方法があることを認めるのが民主主義であり、表現の自由はその原動力であり、それが脅かされているからだ。イスラム教徒=過激派という偏見や、ユダヤ人差別に抗議するためだ。
「私はシャルリーのエスプリに賛同できない。だからシャルリーじゃない。行進にも行かなかった」という言い分は、ひっくり返せば「シャルリーはやりすぎた。だから殺されても仕方ない」になりかねない(この意見はソーシャルネットワークでかなりあるらしい)。
ル・モンドの編集部が惨殺されていたら行進に参加した、というロジックになりかねない。
・・・ので、私も行進に参加した。

『私はシャルリー/Je suis Charlie』のスローガンは最初引っかかった。シャルリーになる気はないんですけど・・・
シンプルで視覚的インパクトのあるポスターは、事件の翌朝パリ市内に現れ(フランス人もその気になれば日本人並みの早さで仕事ができるんだわ)全国に、全世界に広がった。

調べると、フランス語には「Je suis ダレソレ」という比ゆ的表現法があって、それは「ダレソレが攻撃されたことを通して私も攻撃された」という意味だそうだ。「私はユダヤ人/Je suis juif」という表現は、その人がユダヤ人というわけではなく(もちろんその場合もあるけど)「ユダヤ人を通して私も攻撃された(侮辱された・・・)」という意味になる。ああ、ややこしい。

フランスでも『表現・出版の自由の限界』(子供に見せてはいけない猥褻、ポルノグラフィーなもの、犯罪の現場、民族に対する嫌悪や差別・・・)を定めていて、作家のミッシェル・ウェルベックやシャルリー・エブドは裁判沙汰になったことがあるそうだ。日本は、法律に加えて、自主規制が強いと思う。一方、フランス(その他の西ヨーロッパの国)では、そのリミットの中で、ウェルベックやシャルリーが表現し続けられるのが、健全な民主主義のあり方、と思われている。ギャップ・・・

もうひとつ、ユーモアは国境を越えにくいのも事実。バンドデシネを日本に紹介する仕事をしていたとき、感動する話、恋愛物、SF・・・はいけても、ユーモアものはすごく難しかった(なにが可笑しいの?)
逆もしかり、英語に訳された叔母の漫画は全然ウケなかった。なんでこれがユーモアなんだ?という話になる。

明日、300万部(通常の50倍!)が16ヶ国語、25ヶ国で売られるシャルリーの表紙。
「明日、生まれて初めてシャルリー・エブドを買う。信条の問題として」みたいなTweetが多い。

(懲りずに)ムハンマド、「すべては許される」
シャルリー・エブド1月13日号

あの水曜日から1週間が経ったのだ。

ランキングに参加しています。お気に召したらクリックしてください。
にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ

にほんブログ村 海外生活ブログへ
にほんブログ村

スポンサーサイト
コメント
「Je suis ダレソレ」
「Je suis ダレソレ」という比ゆ的表現法。
なるほど、ようやくわかりました。ブルターニュに8年住んでいたのですが、こういう言い方を聞いたことがなかったのです。ありがとうございました。
いつも読ませていただいております。比喩的表現と、フランスならではのとらえ方と。すごく勉強になりました。

日本のように変なところ神経質なのに、いざとなったときにこんなにも集団で革命的な、デモ行進を行うようなことができるのだろうか…と思いふけりました。

引き続き記事、楽しみにしております。
今回の表紙
こんにちは、ブログ、いつも楽しみにしています。フランスに住んでいる者ですが、日本の調和を重んじる文化で育った感覚からすると、今回はちょっとやり過ぎな気がします。シャルリーが全ての権威をおちょくってきたなら、今現在自分自身がヨーロッパ"liberté d'expression"主義の、権威の象徴となっている矛盾をおちょくることもできたはず。なのでちょっとがっかりしました。
こんばんは。いつも楽しみに読んでいます。エッセイも愛読者です。好きでたまに一人歩きするパリでテロとあって、その衝撃は凄いものがあり、遠い東京から報道を見ていました。私も日本人なので、どうも腑に落ちない部分があったのですが、今回のこのブログで、なんだか少し理解できた気がします。それにしても、底力というか根性というかのある国民ですね。。そっちにも驚かされました。引き続きブログ楽しみにしてます!
言論の自由は守られるべきですが、(日本では政治に関するコントが規制されたり、ピーターバラカンのラジオが反原発過ぎると打ちきりになったり ) 今回の雑誌には賛同できません。

イスラム教のみならず他者が尊重する文化や宗教を大切にするのは、人間としてごく当たり前のことだと思うのですが…。
偶像崇拝を禁じているのだから、絵にされるだけで不快な人がいる、という他者への想像力が欠如してるとしか思えません。
自分たちの文化が正しく一番だ、こんな程度の風刺も理解できないイスラム教徒は遅れている、というような印象すら受けてしまいます。

イスラム教徒がなぜ反発するのか、という根本的なところが雑誌編集部には理解できていないようで、単なる自由の戦いに問題が擦り変わっているようで、残念です。

私はシャルリーではない。私は自分と違う文化の人を尊重することと自由の両方を大事にしたい。
私個人はそういう気持ちです。
Re: やよい様
コメントありがとうございます。
私もシャルリーの風刺精神に懐疑的で、表現の自由はいいけど限界があるんじゃないか、と思いました。そこで、シャルリーのバックナンバーを見てみると、カトリックもバシバシ風刺されていて、教皇は頻繁にネタにされています(シャルリーだけではなく、映画でも紙面でもカトリックの司祭は一番のカモになっているような・・・)
つまり自国の宗教(教育は”宗教色なし”になっていますが、フランスはカトリック国です)も他の宗教も区別なく風刺していました。

また、友達と話していて、フランスの長い風刺文化があることに気付きました。
シャルリーのバックナンバーを見て、好きじゃないもの、やりすぎと思うものもありますが、政府や権威者が言いたくないことをズバリと指摘しているものもあります。
よくわからないけど違った文化があるんだ、と思います。
ローマ教皇とムハンマドでは、やっぱり位置付けが違うと思うんですよね。
ローマ教皇?法王?すみません、勉強不足で区別がつきません は、期間が来れば代わる代理人。ムハンマドは神格化された存在ですから。

キリストは私生児の子ども、ハハ、怒るなよ、ジョークわかんねーな~って言ってるも同然のことをしていると思います。
多分それをされたらキリスト教の信仰を持っているひとは怒るわけです。当然ながら。

また、教皇は揶揄しても、キリストそのものは揶揄しない、のにイスラム教だとそれができてしまう、というのは、やはり傲慢と鈍感性の表れだと思います。他者の信仰を侮辱することは、テロリストの暴力が許されないことと同様です。

デモの連帯は素晴らしいものなのに、なぜ雑誌の暴力によって大切なものを揶揄されたと感じる人がいることには鈍感でいられるのだろう、と今一つ解せないのです。
フランスのマスコミではそのような論調はないのでしょうか?

追伸 サルコジ元大統領の割り込みには爆笑してしまいました。さすが、ギラついてる人はためらいってもんがないな、と。
Re: JOURNAL IRRESPONSABLE
「無責任な新聞」という意味です。つまり自覚はあったわけですね。
編集長は、いつか過激派に殺されると覚悟していて、「跪いて生きるより、立って死ぬ」と言っていたそうです。
無責任な新聞
なるほど。そう標榜しているということは、なんでも茶化しますよということですね。ありがとうございました。
イギリス人のジョークがフランス人には通じないそうですが、フランスのエスプリも外国人からみれば受け入れがたいということもありますね。
コメントの投稿
プロフィール

Author:長谷川たかこ

この国に住もう!と決めたのは13歳のとき。それが実現したのは10年以上経ってから、それから30年の月日が流れました(計算しないで!)
現在フレンチ・コード主宰。訳書多数、著書3冊。夫1人、子供2人、猫2匹と暮らす騒がしい毎日。映画と料理とデビッド・ボウイが趣味。


長谷川たかこ

カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
最近の記事
カテゴリー
おすすめ書籍
RSSフィード
おすすめコスメ
フランスに行くなら
プロヴァンスの田舎町をまわる1日
アーカイブ