イスラム教徒と過激派

パリでテロ事件がある前に『Timbuktu/ティンブクトゥ』が封切りになった。
2012年、イスラム過激派に占拠され、2013年1月にフランスとマリの軍隊が開放したマリのトンブクトゥがモデルになっている。監督はモーリタニア人のアブデラマン・シサコ/Abderrahmane Sissako。

イスラム教徒と過激派1

町にはジハーディストの一団が居座って、音楽、サッカー、タバコ禁止、笑ってもいけない・・・と“彼らの法律”で、住民の自由を奪う。女性は人間扱いされない。
住民達は恐れながらも凛として生活を続けている。夜中にギターを弾き、子供たちはボールなしでサッカーの真似事をして“抵抗”する。手袋をしろと言われた魚屋のお姉さんは、手袋をしたら仕事ができない、そんなら手を切ってくれ、と両手を差し出す。予期しない返事にタジタジしてしまうジハーディスト。

町から離れた砂漠のテントでトゥアレグ一家が暮している。過激派を恐れて避難した家族が多く、周囲にほかのテントはない。仲良く暮らす夫、妻、娘は自由と抵抗の象徴のようだ。でも彼らの生活も間もなく脅かされる。

イスラム教徒と過激派2

過激派の兵士たちはアフリカ伝統のマスクを的に射撃の練習をしたり、住人たちを怖がらせてサディックな喜びを感じたり・・・そして罪のない人たちに石を投げ、撃ち殺す。
敬虔なイスラム教徒と、過激派のコントラストが視覚的にも描かれている。

イスラム教徒と過激派3

「他者の宗教を侮辱してはいけない」というシャルリー・エブドへの批判が少なくないけど、この新聞が揶揄し、フランスでのデモが抗議したのは、イスラム教ではない。ムハンマドの名のもとに自由を奪い、何もしていない人を殺す原理主義の過激派だ。仏教もキリスト教も、神の名を掲げて人を殺したりしない。

ヴァンセンヌのスーパーを占拠したクリバリは、罪のないユダヤ人を4人射殺した。
3年前のトゥルーズ・テロで、犯人メラはユダヤ人学校にバイクで乗りつけ、子供たちに発砲した。
何もしていない人を殺す彼らの行為には断固、抗議すべきだと思う。
幹部が全員射殺された後、もし、シャルリー・エブドが次号を出さなかったら・・・
『Je suis Charlie』のデモで“シャルリーが攻撃されたことで、私たちも攻撃された”と訴えなかったら・・・
それは過激派の行為を正当化することになってしまう。彼らは「ホラ見ろ、うまく行ったぜ」と思うだろう。

一方、福島原発を扱ったシャルリーの風刺画に、日本人が憤慨し、傷ついたのは「正当な怒り」だと思う。だって日本人は何もしていないのだから・・・


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コメント
うーん。
何度もしつこくてすみません。

今回シャルリーエブドが批判されているのは、雑誌そのものではなく他者の信仰を侮辱していることに気付かないふり?をしてムハンマドの表紙を使ったことです。
明らかにこれは間違っています。
(もしもムハンマドを表紙に使うことの何が問題かも分からないほど鈍感なのだとしたら、そちらのほうが問題ですから、気づかないふり、であることをむしろ願いたいという皮肉な状況ですが)
抗議としての次号を出したことを批判している人は誰もいないでしょう。

過激派に抗議するのなら過激派のイラストを使って揶揄すればいい。
ムハンマドのイラストを使うのは、それこそイスラム教と過激派を一緒くたにしているのと同じではありませんか?
それ以前にごく一般のイスラム教徒の人の信仰の根幹を傷つけているわけですが。
そしておそらく、フランスのムスリムはシャルリーエブドを不快に思っても、この「連帯して抗議しよう!」「歴史的な一日!」の声にかき消されて、その不快さを表現する術を持たない。
私が気になるのはその点です。おそらくフランスにいるムスリムはねじれに苦しんでいるはずです。自分たちの信仰が捻じ曲がって使われいることへの拒否感。でも信仰をイラストで馬鹿にされることへの不快感。フランスは一致して・・・という中に自分たちの信仰を大切にする気持ちはどうやら含まれていなさそうだというあきらめ。
フランスではそんなにもムスリムといわゆるフランス人は断絶しているのでしょうか。

ちなみに、福島のイラストを不快に思うのは「日本人はフランス人に何もしていない」から「正当な怒り」なのではありません。
明らかに「人種差別的な意図」が感じられるイラストだからです。

風刺と差別意識を履き違えている鈍感さを、ぜひ編集部の人には自覚してもらいたいものです。
やよいさんと同じ意見です。
一緒くたにしてるように思います。ムスリムの友達がいるのですが、シャルリー運動のせいで非難の矛先になったら気の毒です。

私自身は不可知論者です。= agnostic
宗教をユーモアの題材にすること自体に疑問を感じます、しかもムハンマドを使って。

その意図はない・過激派を非難しているのだと主張しながら、言論の自由の名のもとに、他者の信仰を批判しているように思います。
Re: やよいさんと同じ意見です。
沙耶香さん、コメントありがとうございます。やよいさんのご意見も読み、考えました。

フランスに500万人いるイスラム教徒が恐れるのは、イスラム教徒=過激派という混同、シャルリーを惨殺した過激派と同一視されることです。
前にも書きましたが、「Je suis Charlie /私はシャルリー」という表現法は、「シャルリーが攻撃されたことを通じて、私も攻撃された」という意味で、シャルリーの編集方針や風刺画に賛同しているものではありません。デモにはシャルリーが嫌いな人、読んだこともない人が殆どでした。もともと3万部の定期購読者しかいなかった新聞ですから。
私も、シャルリーの風刺画にはやりすぎと思うものが多いです。でもシャルリーを批難することは、イスラム過激派のテロ行為を正当化することになると思います。
フランスで12人銃殺し、日本人捕虜2人を殺し、子供を磔にしたり生き埋めにする(3日前の国連の発表です)過激派はどうしても許せません。

・・・と思います。
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プロフィール

Author:長谷川たかこ

この国に住もう!と決めたのは13歳のとき。それが実現したのは10年以上経ってから、それから30年の月日が流れました(計算しないで!)
現在フレンチ・コード主宰。訳書多数、著書3冊。夫1人、子供2人、猫2匹と暮らす騒がしい毎日。映画と料理とデビッド・ボウイが趣味。


長谷川たかこ

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