パリ、3回の失敗、3つの理由

パリでオリンピックが開かれたのはなんと1世紀近く前の1924年。その後、1992年、2008年、2012年と立候補して逃している。
なぜ?どうして?

1992年:二兎追うものは一兎を得ず
パリで夏季オリンピック、冬季はアルベルヴィル、とフランスは両方に手を挙げていた。当時のパリ市長、シラクは乗り気で、トルビアック、ベルシーに選手村を作り、寂れていたパリ東部の村興しを考える。
当時IOC(国際オリンピック委員会)会長だったフアン・アントニオ・サマランチ侯爵は、自分の故郷バルセロナを開催地にしようと企み、その代わり、アルベルヴィルをこれ見よがしに押した。夏はもらうから、冬をあげるよ・・・
ところが投票で、冬季はソフィアに取られ、夏季は47票:23票で、思惑通りバルセロナに。

2008年:負けはわかっていた・・・
相変わらずフアン・アントニオ・サマランチ侯爵がIOC会長。彼は、2000年は北京と思っていたが、2票の僅差でシドニーに持っていかれる。2008年は何がなんでも北京だ!スポンサーにとって中国は金鉱、工作は難しくなかったに違いない。
その状況を知りつつ、パリ市長ドラノエは立候補する。その上、2004年アテネだったから、ヨーロッパの国が選ばれる可能性は超低い。
結果は予想通り:北京(56票)、トロント(22票)、パリ(18票)、イスタンブール(9票)。

2012年:平手打ち!
今度こそ!ドラノエ市長は気合を入れた志願書を提出し、オリンピック委員会のスタッフから褒められる。
ICO会長はフアン・アントニオ・サマランチ侯爵に代わって、ジャック・ロゲ伯爵、前者ほど工作主義でないのも希望の要素。
投票の数週間前までパリは、ロンドン、マドリッド、NY、モスクワを抜いて”一番のお気に入り”だった。だから、安心しすぎていたのかも・・・その間、ロンドンは着々と巻き返しを準備していた。
2005年にシンガポールで行われた開催地キャンペーンで、パリはドジを重ねる:キャンペーン用ヴィデオは、光の街、パリを美しく紹介するツーリストヴィデオで、スポーツは不在。当時の大統領、ジャック・シラクの反イギリス的発言・・・
結果、4票差でロンドンに持っていかれる。ドラノエ、真っ青!

2005年8月、パリ市長舎から『Paris 2012』を外す・・・
パリオリンピック

さて2024年、どうなるか?(決定投票は2017年)。フランスの経済活性化になる、いや赤字を抱えてギリシャの二の舞だ、意見は分かれる。
想像はしていたけど、オリンピック開催地争いは、スポーツは二の次で、政治的・経済的な画策だ。世の中のすべてがそうであるように・・・

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プロフィール

Author:長谷川たかこ

この国に住もう!と決めたのは13歳のとき。それが実現したのは10年以上経ってから、それから30年の月日が流れました(計算しないで!)
現在フレンチ・コード主宰。訳書多数、著書3冊。夫1人、子供2人、猫2匹と暮らす騒がしい毎日。映画と料理とデビッド・ボウイが趣味。


長谷川たかこ

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